コティングリー妖精事件|妖精写真の違和感

心霊現象・神秘主義

No.30

子供の頃、コティングリーの妖精写真を見た
でも怖くなかった

1917年、イギリス
少女二人が妖精の写真を公開し
多くの大人が本物だと信じた
写真の真偽をめぐって論争や騒動が起きた

私は心霊写真は怖かった
写ってはいけないものが写っている気がしたからだ
幽霊は死者だ
墓があり、行事があり、社会の中に居場所がある
だが妖精や妖怪は違う

それは自然現象の擬人化だ
現象にキャラクターを与え、物語にして伝える存在だ
実体は無い
そこに気配を感じるだけ
絵本の中にはいても
現実の中にはいない
だから妖精が写真に写るわけがない
そのとき私はそう思った

怖さの違いは写真ではなく
存在の種類だったのかもしれない

補足資料
コティングリー妖精事件は、1917年にイギリス・ウェストヨークシャー州コティングリーで撮影されたとされる「妖精の写真」をめぐる出来事である。少女エルシー・ライト(当時16歳)とフランシス・グリフィス(当時9歳)が、自宅近くの小川で妖精と一緒に写ったとする写真を撮影したとされ、これが後に公表された。

最初の写真は1917年に撮影され、1919年頃から地元の神智学関係者の間で紹介されたとされている。1920年には神智学協会の機関誌などで取り上げられ、広く注目を集めた。作家アーサー・コナン・ドイルはこの写真を真正なものと考え、同年に発表した著作『The Coming of the Fairies』の中で肯定的に言及したという記録がある。当時は第一次世界大戦後であり、心霊研究や超常現象への関心が高まっていた社会状況が背景にあったと指摘されている。

公開された写真は最終的に5枚とされ、少女の周囲に羽の生えた小型の人型存在が写っている構図であった。写真の真偽については当時から議論があり、専門家による検証も行われたが、決定的な合成の証拠は示されなかったと報じられている。一方で、妖精の姿が当時の児童向け書籍や挿絵に描かれた様式と類似しているという指摘も存在した。

1980年代に入り、エルシーとフランシスは写真の多くが切り抜きの紙人形を用いた演出であったと認めたとされる。ただし、5枚目の写真については見解が分かれているという報道もある。この告白以降、事件は20世紀初頭の写真技術、心霊研究史、メディアと信憑性の問題を考察する事例として言及されるようになった。

コティングリー妖精事件は、写真という視覚記録媒体が持つ信頼性の受容、子どもの証言に対する社会的評価、当時の神秘思想運動との関係など、複数の文脈で整理されている。妖精という民間伝承上の存在が写真という近代的技術と結びついた点が特徴とされ、超常現象研究史やメディア史の文脈で参照される事例となっている。

断片 (リンク)
[Alice and The Fairies] (1917) – Science Museum Group Collection(妖精のオリジナル写真)
[Issue of “The Strand” magazine, December 1920] (1920) – Science Museum Group Collection(Arthur Conan DoyleがCottingley Fairiesを紹介したStrand Magazineの1920年12月号)
[Issue of “The Strand” magazine, March 1921] (1921) – Science Museum Group Collection(Strand Magazine 1921年3月号。事件の公的報道と拡散の文脈を示す)
[The Conquest of Yōkai, Fairies and Monsters — Prologue: Heteromorphs in the East and West] (2018) – Gakushuin Women’s College / Kazuo Tokuda(東西比較民俗学の観点から妖怪・妖精・怪物・幽霊の異形性を比較。fairiesとyōkaiの類似・相違を歴史的文脈で論じる論文)
[講演録 通俗的妖怪と近代的怪異] (2007) – 大谷大学リポジトリ(京極夏彦の講演録。学術的文脈で柳田の幽霊・妖怪違いを簡潔にまとめ、近代の怪異観を論じている)

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