No.44
本編
ヒマラヤには
正体のわからない何かがいると伝えられてきた
人や家畜が襲われる
足跡が残る
気配がある
現地の人々はそれをイエティと呼んでいた
20世紀
イギリスの探検家たちが大きな足跡を発見する
彼らは言う
「オオカミかクマだろう」
だが現地の人々はこう答えた
「イエティだ」
雪の中に立つ人のような影
探検家たちは「雪男」と名付けて大きな類人猿の痕跡を集め始める
毛皮、足跡、証言
だが多くはヒグマや他の動物と一致する
それでも目撃談は絶えなかった
チベット仏教のラマはイエティをこう語る
「それは目に見えない風のような存在なのです」
「目に見えなくても心に映るのです」
同じものを見ていても
見え方はひとつではない
視点
ヒマラヤの各地ではイエティ以外の名称も多くあり、伝説上の生物や野生生物を語源としている。
その正体は断定はされていなかったが、「雪男」の探索が始まって以降は大型の類人猿と想定されるようになった。
民間伝承が新たな視点で未確認生物として取り上げられる事例。
当初は茶色い毛に覆われた姿で描かれてきたが、1990年代から白い毛で覆われた姿で描かれるようになってきた。
補足資料
イエティは、ネパール、チベット、ブータンなどヒマラヤ周辺で語られてきた未確認存在であり、西洋圏では「Abominable Snowman(雪男)」の名でも知られる。記述上は、大型で毛深く、雪線付近に現れる存在として整理されることが多いが、地域ごとに呼称や性格づけには差があり、山の精霊、野生の人影、未知の獣として語られる場合もある。現地の民間伝承と、外部から来た探検家・報道・未確認動物研究の視点が重なって形成された題材とされている。
近代的な記録としては、1921年の英国エベレスト偵察隊を率いたチャールズ・ハワード=ベリーが高所で足跡を報告し、自身はオオカミによるものとみなした一方、現地側では別の存在名で説明されたという経緯がある。この報道過程で「アボミナブル・スノーマン」という英語名が広まり、イエティはヒマラヤの地域伝承から英語圏の大衆文化へ移された。1925年にはN・A・トンバジがゼム氷河付近で人のような姿と足跡を見たと記し、20世紀前半に探検記録と新聞報道が増加した。
特に有名なのは1951年、エリック・シプトンがエベレスト偵察時に撮影した大型足跡の写真である。この写真は、氷雪上の痕跡をイエティの証拠とみなす言説の中心資料となった。1953年にはエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイも大きな足跡を見たと報告し、1954年のデイリー・メール雪男探検では足跡撮影や僧院所蔵物の調査が行われた。パンボチェやクムジュンの僧院に伝わる頭皮状資料や手の遺物は、標本として注目されたが、由来は一定しなかった。
その後の検証では、足跡は融雪や風食で拡大・変形したクマ類などの痕跡とする説明が繰り返し提示され、毛や頭皮状資料についても既知動物との比較が進められた。2017年には、イエティ由来とされた複数試料のDNA解析結果が公表され、多くがヒマラヤヒグマ、チベットヒグマ、ツキノワグマなど地域のクマ類、または犬に一致したと報告された。一方で、こうした分析結果は「伝承そのもの」の消滅を意味するものではなく、自然環境、宗教文化、探検史、報道史が交差する題材として引き続き参照されている。
断片(リンク)
・[Mount Everest, the Reconnaissance, 1921] (1922) – Royal Geographical Society / Alpine Club 公式探検報告書(1921年エベレスト偵察隊による足跡報告を含む)
・[The Mount Everest Reconnaissance Expedition, 1951] (1952) – Eric Shipton公式探検報告書(1951年Menlung Glacier足跡発見)
・[On Exhibit: The “Yeti Memo”] (1959) – U.S. National Archives公式ブログ(1959年米国国務省公文書「Yeti Memo」)
・[Web東奥・特集/ヒマラヤの雪男の謎を解明する/根深誠さんの手記] (2007年アーカイブ) – 東奥日報社(青森県の地方新聞社)公式ウェブサイト内の特集ページ
・[The Yeti Footprints of Mount Everest, as Photographed by Eric Shipton] (2022) – Curious Archive(1951年Eric Shipton探検隊の足跡発見とエベレスト偵察の成立過程)


コメント